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D ξ I ξ J    第二章    【志錬館】編

◇Sydney【志錬館】創立◇ たった一つの小さな夢に向かって その命を燃やし続ける若者がいる。。。 '07/8月 夢の舞台《Sydney》から"絶望の風"に吹かれ帰国。。。。怪我、手術、リハビリを乗り越え波乱の物語は続いて行く!
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  • 04/19/00:46

南半球の青年の詩

sadfsdadfasdfas

Sydneyから電車で30分

Canturberyっていう廃れた街





不器用に「Imagine」を歌い

無様に5セントを投げつけられて

剥き出しのギター抱え  一人の帰り道

“絶望”って風が  彼を冷たく吹き付けていた





「ところで、俺、何で武道やってんだっけ?」

職も家もない、

金髪で、ピアスが体に9個、右肩TATOOの青年

ふと考えた




その青年はTAIDOっていう

この街じゃ誰も知らない日本の武道をしてた




だけど

今、彼の唯一の能力が、

足の痺れとともに消えようとしている

その風に吹かれてたから




「強くなりたい?」「人格形成?」「社会貢献?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・????????



まず、「嘘」と「憎む」ことを止めようと思った

それが最初に出た




歩みを進めた   煙を吐き出しながら




(この国ではTAIDOで一番なんて

 何の意味もなかったなぁ・・・・)



もう一度、薄暗い街のやたら綺麗な月へ

煙を吐き出した





その青年が、数年間焦がれて

すがって鼓舞してた

ダサい金メッキ


ここでその風とともに、錆びて剥がれ落ちたから






歩を進めた   汚いドブ川が海へ流れてる





次に、「与える」人間になりたいと思った

奪って熨し上がるのではなく

「与えて」上げられようと





金メッキとその風が

そのことを彼に叩きつけるように教えた











次に

「何で躰道ってできたんだろ?」 いつも出るこの問い

殺すなら殺人術、打撃ならキック・ムエタイに遠く及ばない

一番の能力は精神力だと思った





ドブ川で、歩を止めた





創始者は戦争の痛みを知っている場所で創ってる

その痛みを最も知る国のひとつ、

日本人として

世界に訴えるべき精神が

この武道にあると思った




誰の声より、真似より、

「精神力」を誇るべきものにしたい






その日本人として、人間として、美しい「精神力」を宿して

金メッキの  {TAIDOで一番}  より

 願わくば  {TAIDOが一番}  でありたいと



それを二つ目に思った







歴史にツバを吐いてきた青年は

それを呑み込もうとした


















少し前、歌ってるときに5セントを投げつけれらた

何より下手糞だったから

当然殺気も沸く、殴り倒そうと




でも、よく知れば、投げた奴はハッピーで

友達になれた




「相手をよく知ろう」

「その人(国)の言葉(言語)も知ろう」

自然に思いついた





タバコに火をつけて

また、歩を進めた 

右目が痛かった








「しっかし、今俺何にもねぇなぁ・・・・」

ちなみにその青年はもう恋愛をする権利も失くしてる





深く煙を吸って

ドブ川にタバコを捨てた








武道は形を変え、意味を変え、

存在意義を現在に示すなら

「世界平和」だと思った

突然に





ただ、その風貌とは逆に

青年は「純粋」になろうと思った





「嘘と憎悪」がなく

「与える」ことが出来て

「精神力」に秀でた

「見聞の広い」視野を持ち

「世界平和」を意識してる

「純粋」な人間に変わろうと願った





(媒体は何でもいいんじゃねぇか・・・・

 競うのも争うのも負もなくしてみたい)






なぜかその日は

足が痺れてなかった

(不思議なこともあるもんだなぁ・・・)






青年は自分の足元と

立ち居地を確かめる







タバコで腐った脳を焼きながら







舞台から落ちてしまったと勘違いしていた

大きな視点で見れば、

ただ道の途中の階段を踏み外しただけだった





その舞台に上がる階段も1つじゃない

もちろん、舞台に上がらないと

次は見えないけど







今までTAIDOという小さな小さな部屋で

実戦競技というこれまた小さな枠で

相手より、“いかに速く”“高く”しか考えない頭が

切り替わろうとしているから













・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。。。。












南半球の青年が散る

たった3ヶ月で

その“絶望”の風に吹かれて




ただ、激動の日々の中で

一瞬垣間見たモノは

一生彼が謳う詩になるかもしれない


seinen.JPG















いつの日か

きっといつの日か

その青年は   また国境を超えるだろう






その階段を上るため

時間はかかるけど







この詩を書いているときも

世界では何人が悲鳴を上げて死んでいくのだろう










もう夜が明けそうだぜ

じきに日が昇るんだ


月はまだまだ明るかった













歩を進めた

タバコもなくなった

両足の痺れも

右目の傷も

じきに癒えるさ








改めて青年は「Imagine」を口ずさみながら

歩き出した


「You may say 

      Im a dreamer・・・・・・・・・・・・・・・

But・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・And

 The world  will be  as  one・・・・・・・・・」


dougi.JPG























青年は謳い続けるだろう

いつの日か

また

国境を越えて・・・・。。。。

2007/08/05  
 D ξ I ξ J  第二章  一部終了
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これが挫折ってやつか・・・・

今日の午前、またまた病院の診察を受けた

実は確実に原因が分かってなくて

やはり、右半身全体の反応が鈍かったり

治療方法を断定できない状態で

宙ぶらりんで死にそうです。

もう殺すなら殺してくれって感じです。




本音は

「もう手術でも豊胸でもなんでもいいから

 早く決断出してくれー」な

フラストレーション爆発5秒前な日々

胃がキリキリします。。。



でも、ここで

「エイヤー!もうしゃらくせー!!

 こんなの赤チン付けときゃ治るぜ!!」

って気分になれない。






いつもならそうするんだけど(おいおい)、

この痺れの状態が今までになくやばい怪我だってのは

動物的本能でビンビンきます。





これ、下手したら一生ものじゃねー??

って。





レイジーなDr.パーキンソンはゴルフツアーのため
(デイブが勝手にj判断して爆笑)

一ヶ月も待てないから、今回は代理で待つこと一週間

Dr.サートンっていうさわやかなナイスミドルに

見ていただきました。



・・・・もうこれで6人目

・A先生(日本人)

・Dr.サワー(脊椎)

・Drパーキンソン(プロゴルファー・・・・否 神経外科)

・Dr.ドルティン(スポーツドクター)

そして

・Dr.サートン(脳神経科)

みんなすごい人らしいんだけどねぇ。。。



僕の体はよく調べれば調べるほど、謎が深まるらしいです。

もう分けわかんなくゴチャゴチャナ僕の体は

・一番初めはヘルニアの疑い

・調べたMRIから椎間板の劣化・亀裂・脱水症状

・次の右半身全体の反応速度の鈍さ

・脳と首に異常の疑い(実はこれがまだ晴れない)




とにかく、どのDrも首を傾げてしまう症状、

しっかりとした原因がいまだ分からない僕は

流れ流れて今日の脳内神経科?へ



Dr.サートンさんは今までと同じ検査をした

そしてやっぱり首をかしげた

「Oh~~~~」

(イライライライラ・・・・・・・・・・・)

MRIで全身を見ても、なんで痺れるのか

特定できない

そしてなぜか、今日はまた「手術するかしないか」に

論点があって、ビビッテました。

っていうか、もう同じこと繰り返しすぎなんですが。。。


そして、今回は新たにDrサートンさんは

「右半身、特に右目がおかしい」みたいなこといっていた・・・



さらに

「もう一度、今度は特殊なMRIで検査が必要だ」

「はぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」








またかよ・・・

MRI3回戦目・・・・・・・・・





その先生は目と脳内も気になるみたいで(専門だからね)

今度はその場ですぐに他の先生を紹介された

今度は女性だけど、ま緑のコートを着た

サリーちゃんのパパみたいな髪型

女医さん








食べられちゃいそうだ・・・・・











「あーら、美味しそうな坊やね、ほほほ

 んじゃ、血を抜いていらっしゃ~い

 生き血は大好物よ、ほほほ  ぺロリ」


って感じて、今度は血液検査

え?まだ検査するの?

なんか話がでかくなってきてるんですけど・・・


今はここで一番でっかい病院

St Vincents ってとこなんだけど

まぁ間違いなく一番優れた施設なんだろうけど

とにかくスロー、遅い・・・


サリーちゃんのパパの髪型の女医さんは

「んじゃ、すべての検査を予約してね。

 その後、私があなたをいただきます・・・いやいや

 診察します。ん~、26日はどう?」





はぁ?

また一ヶ月?






結局、詰め詰めでも10日待つことになった。


んで、次の特殊なMRIは明日なんですが

ちょっとお値段を見たらブッタマゲタ!

A$2,700


・・・・・・・・・・・


27万円!?!?!?!?!?!?!






マジかよ・・・・











この一向に進まない現状

究極のお金と時間の無駄使い

動けない悔しさ、ジレンマ

何もできない自分への苛立ち


胃がキリキリした

頭がガンガン痛かった






そして、その後

すごい目眩がして

フラフラしながら倒れこんでしまった

こんなの初めてだ

人がガンガン通る通路の横で

横たわった


気を失ったのか寝たのか

気づけば2時間経っていた











もう、ここが限界か・・・

チェックメイトされました・・・



あっさり言いますけど

実は

昨日、日本行きのチケットを取りました

ここで、遅い・高い・無限地獄にハマッテいるのなら

《完治》を最優先に考えれば、もっと早く

日本で治療すべきだった


30日の朝、

デイブ宅に荷物をとりに行った

すぐに言うつもりだったけど

言い出すまで10分以上かかった


「・・・・・治療しに日本に行くよ・・・・」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

お茶目なデイブは今までにないくらい

シリアスに話をしてくれた

「それがベストだ」と。

今までの彼にない一面を見た

この国に来てから

いつも一緒で

一番笑いあった仲間

俺の心境は痛いほど分かってくれたと思う


すごいすごい真剣に話をしてくれた



その後、一緒に

チケットを買った

「6日と13日どっちに帰ろうかな・・・・?」

ってコイントスでデイブに決めてもらった。

あと2週間か・・・・










帰り道

夕日の綺麗な河辺に

僕とデイブと愛犬JOYでいった







すごい眩しかった

眩しすぎて泣きそうだった・・・・・







胸を打たれたその虚しさに





でも、金も気力も尽き果てて

ここまで、限界まで粘ったのは

単純に

自分自身へのプライドだった

負けたくなかった

逆転できるって自身があった







「成功するまで帰らない」

少なくとも10年は日本の土地を踏まないつもりだった






日本に帰るのは簡単だ

でも俺は命かけてここに来てんだぜ

絶対ここから挽回して活躍できるぜ

って言い聞かせてここまできた




でも、気づいたのは

プライドや理想を優先して

「完治」というから目をそらし

「自分の気持ち」という虚像を追うだけの

無様な自分がいた



「帰ることは負け」「絶対帰らないっていったから」

でも

いま思うのは

そのただ帰らないという、固定観念だけにぶら下り

「最短での復帰」を熟考してなかった

ここに無意味に残ることこそ「逃げ」だ







「ここに残るのことは、現実から逃げて自己満足」

だと思うようになった。


 
     帰らない<夢を叶える





自分の信条を崩してでも、ここは「完治」を優先するべきだ













決断をするまで本当に時間がかかった

悩んで悩んで

考えて考えて



いつでも心にある強烈な絶望と葛藤


ここでドンドン人脈を作って

大会や演武で注目されて

道場を開いて

たくさんの人に知られているはずだった自分




でも、

今は無様に足をかばいながら

イライラしながら

病院をいったりきたり





7月6日

症状を聞いたとき、大声を上げて泣いたっけ



何でもない階段で転んだり

人にぶつかった時、力が抜けて崩れたり

それから、ふとした時でも

理想と現実のギャップに泣いたっけな




おそらく

人生で一番泣いて、悩んで、苦しんだ



この絶望




精神的に限界まで追い込まれた



この葛藤









この痺れをきっかけにして

溢れんばかりに

ダメダメな自分が続いて

気が狂いそうだった


日本で仕事も捨ててきた

ここではこの体で働けない

落ち着いて寝る場所も、安らぐ場所も

貯金もない

そして一番大切な友達の信頼も

何より、体が動かないのが

本当に本当に辛かった



今の俺はまさに

すべてを失った状態だった








今までいろんな涙を流した

様々な窮地があった



ヤクザに追われて殺されそうだったときも

ヒッチハイクで日本を回ったときも

アトランタで殺されかけたときも

親の病気が分かったときも

仕事の忙しさで死にそうだったり

死ぬほど稽古しても全日本で負け続けたり

AUS一周中に洪水で死にかけたり





いろんな感情があるが

これはどこにも当たらない




初めて感じる種類の

極度の絶望感

最悪の自己嫌悪

自身喪失




AUSで道場を・・・・



何年も焦がれて

海外で人脈作って

錬士とって

5年かかって日本一になって

必死で貯金して

好調だった仕事を捨てて



僕の全てを

全身全霊をかけた









それが今は

足の痺れだけ残り

今にも火が消えそうだ






俺の人生で初めて味わった絶望

俺の心の真ん中は

正直、この言葉でいっぱいだ









「これが


挫折ってやつか・・・」













本当に拳銃で撃たれたみたいだ


衝撃とともに


僕に大きな穴を空けた













何も力が沸いて来ないんだ

目の前が真っ暗に見えた




自分の支えが捥がれた気分

ずっと信じていた神様が

虚像だったような虚しさ








やっとたどり着いたドアだったけど

鍵を間違えて持ってきて

もう一度、自分の家に帰らなきゃいけない気分


















この敗北感は

僕をどこまで落としていくんだろう










##################################

追記;

昨日、チケットを取ったあと

ぼーってしながら

PABで一人で呑んでた

日本行き・・・・=敗北感たっぷりで






「俺、何もできなかったなぁ・・・」





すると、突然店のマスターが

「HEY!? Are you TAIDO player???」

耳を疑った

確かにTAIDOっていってる・・・

偶然にも前の他流試合(NAS)を見に来てた人が

この店のマスターで

「TAIDOって凄いな!はじめてみたぜ!

 あれは凄いな!回転させながら威力を出すんだろ?

 美しい方形と面白い実選だったぞ。

 お前は先生か!?何故ここに来た?

 お前は偉大な先生になるよ!!」


といい酒を奢ってもらった。



もう、メチャクチャないてしまった

マスターは褒めているのに

なんで泣いているか理解できなかった

だろう



すげーうれしいっていうか、

他流試合って凄い足痺れながら

決死で臨んだから

「俺は間違ってなかった・・・」

って思ったんだ。









ボロボロ泣きながら見上げた空は

鮮やかな満月だった







そのことをデイブにすぐ連絡した

いつもくだらないメールしかしないデイブが

ちゃんとメールをかえしてくれた

「That  is  great!

 What  a  awesome  story!

 You  have  done  great   things  here!
 
 And  everyone  knows that

 Everyone will remembur that!」


そして最後に

「Happy   birthday!」





そうだ、今日、僕は28歳になった


悩みでいっぱいで

ほぼ気にしてなかった




そして、今

鮮やかな大逆転劇を描いている




時間はかかるけど遠回りでもいいさ




これから月を見に海まで入って来ようと思う

一人でね。


そこでこの日が第二の誕生となることを

願うだろう。
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